寺田寅彦まとめ
3.11から2年が過ぎようとしています。手元にある寺田寅彦の随筆を引っ張り出して読み返していましたが、さきほど青空文庫で全文読めることを思い出しまして、またここ数日ツイッターでメモしていたものの参考文献として、このブログに時系列にまとめておきます。ところどころ引用してある文章は、単に私が思い出しやすいようにメモしているだけです。併せて、「天災は忘れた頃にやってくる」を英訳するとどうなるか試しに考えてみた成果(長くなりましたが・・)も、ここに記念に追記しておきます。
We are unprepared because natural disasters are simply very rare, so just when we have forgotten one mistake we get ready to make another.
断水の日(大正十一年一月、東京・大阪朝日新聞)
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石油ランプ(大正十三年一月『文化生活の基礎』)
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何と云ったらいいか。例えば書物の頁の余白のようなものか。それとも人間のからだで云えば、例えば――まあ「耳たぶ」か何かのようなものかもしれない。耳たぶは、あってもなくても、別に差支えはない。しかしなくてはやっぱり物足りない。
地震雑感(大正十三年五月『大正大震火災誌』)
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流言蜚語(大正十三年九月『東京日日新聞』)
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「今夜の三時に大地震がある」という流言を発したものがあったと仮定する。もしもその町内の親爺株の人の例えば三割でもが、そんな精密な地震予知の不可能だという現在の事実を確実に知っていたなら、そのような流言の卵は孵化らないで腐ってしまうだろう。これに反して、もしそういう流言が、有効に伝播したとしたら、どうだろう。それは、このような明白な事実を確実に知っている人が如何に少数であるかという事を示す証拠と見られても仕方がない。
科学的常識というのは、何も、天王星の距離を暗記していたり、ヴィタミンの色々な種類を心得ていたりするだけではないだろうと思う。もう少し手近なところに活きて働くべき、判断の標準になるべきものでなければなるまいと思う。
時事雑感(昭和六年一月、中央公論)
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自然界は古いも新しいもなく、つまらぬものもつまるものもないのであって、それを研究する人の考えと方法が新しいか古いか等が問題になるのである。
富士の噴火は近いところで一五一一、一五六〇、一七〇〇から八、最後に一七九二年にあった。
烏瓜の花と蛾(昭和七年十月 中央公論)
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天然の玄関をちらと覗いただけで、もうことごとく天然を征服した気持になっているようである。科学者は落着いて自然を見もしないで長たらしい数式を並べ、画家はろくに自然を見もしないで徒に汚らしい絵具を塗り、思想家は周囲の人間すらよくも見ないで独りぎめのイデオロギーを展開し、そうして大衆は自分の皮膚の色も見ないでこれに雷同し、そうして横文字のお題目を唱えている。しかしもう一歩科学が進めば事情はおそらく一変するであろう。その時には吾々はもう少し謙遜な心持で自然と人間を熟視し、そうして本気で真面目に落着いて自然と人間から物を教わる気になるであろう。そうなれば現在の色々なイズムの名によって呼ばれる盲目なるファナチシズムの嵐は収まって本当に科学的なユートピアの真如の月を眺める宵が来るかもしれない。
ソロモンの栄華も一輪の百合の花に及ばないという古い言葉が、今の自分には以前とは少しばかりちがった意味に聞き取られるのである。
火事教育(昭和八年一月)
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火事は人工的災害であって地震や雷のような天然現象ではないという簡単明瞭な事実すら、はっきり認識されていない。火事の災害の起こる確率は、失火の確率と、それが一定時間内に発見され通報される確率によって決定されるということも明白に認められていない。
藤の実(昭和八年二月、鉄塔)
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それにしても、これほど猛烈な勢いで豆を飛ばせるというのは驚くべきことである。書斎の軒の藤棚から居室の障子までは最短距離にしても五間はある。それで、地上三メートルの高さから水平に発射されたとして十メートルの距離において地上一メートルの点で障子に衝突したとすれば、空気の抵抗を除外しても、少なくも毎秒十メートル以上の初速をもって発射されたとしなければ勘定が合わない。あの一見枯死しているような豆のさやの中に、それほどの大きな原動力が潜んでいようとはちょっと予想しないことであった。
津浪と人間(昭和八年五月『鉄塔』)
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蒸発皿(昭和八年六月、中央公論)
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神話と地球物理学(昭和八年八月、文学)
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大国主神が海岸に立って憂慮しておられたときに「海を光して依より来る神あり」とあるのは、あるいは電光、あるいはまたノクチルカのような夜光虫を連想させるが、また一方では、きわめてまれに日本海沿岸でも見られる北光オーロラの現象をも暗示する。
地図を眺めて(昭和九年十月、東京朝日新聞)
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天災と国防(昭和九年十一月、経済往来)
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○国や△国よりも強い天然の強敵に対して平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講ずるのもまた現代にふさわしい大和魂の進化の一相として期待してしかるべきことではないかと思われる。
自由画稿(昭和十年五月、中央公論)
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B教授の死(昭和十年七月、文学)
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災難雑考(昭和十年七月、中央公論)
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映画と生理(昭和十年八月、セルパン)
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日本人の自然観(昭和十年十月、東洋思潮)
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震災日記より(昭和十年十月)
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